奥の舗装道の先に・・・[修廣寺とそこへの緑道(川崎市麻生区片平)]
- 2016/02/05
- 04:33
合縁奇縁
その奥深さを知る
県道・都道3号線(世田道)と137号上麻生連光寺線が交わる柿生交差点を多摩方面に100m程進んだ右側の路地には、曹洞宗「修廣寺」へと続く道が気付く人々も少ないままに往来を待ち受けている。途中、川崎市の緑の保全地域「柿生緑地」を超えるためのやや急な階段があるものの、気軽な散歩道として利用できる足にも優しい舗装された細い道だ。
入口は、柿生小学校の向かいの一角にあり、入るとすぐに緩やかな上り坂となっている。


少し進んだ先にある辻を左に折れると、そこにはもう緑地内へと続く階段が迫ってくる。

階段の中腹には緑地を示す案内板が立てられていて、それを過ぎると、ある意味幻想的な世界へと誘う木々のトンネルが私たちを迎えてくれる。

緑地は雑木林で真竹や孟宗竹のほか、桜や杉などが侘び寂を醸し出すかのように根付いている。


展望
しばらく歩み進めると、視界が開けた場所にたどり着く、いよいよ修廣寺のお目見えだ。

修廣寺の山号は夏蒐山(なつかりさん)で、「夏蒐」とは、源頼朝が巻き狩りをしたという意味らしい。川崎市麻生観光協会によると、開創は嘉 吉[開闢開山孤岩伊俊大和尚遷化の年](1443年)で村の 東南、夏蒐岡(なつかりおか)に建てられ、永正17年[勧請開山松澗玄秀大和尚遷化の年](1520年)に現在地に移されたという。江戸の三代目将軍家光からは朱印地三石九斗が与えられたそう。

松尾芭蕉による紀行文「おくのほそ道」の原本の一つとされているのが、弟子・素龍が清書をした「柿衛本」。また、禅宗の開祖とされているのは「達磨大師」。「柿」と「だるま」は柿生の二大特産品だ。地域縁起の二つをみる感慨深さがそこにはあった。
その奥深さを知る
県道・都道3号線(世田道)と137号上麻生連光寺線が交わる柿生交差点を多摩方面に100m程進んだ右側の路地には、曹洞宗「修廣寺」へと続く道が気付く人々も少ないままに往来を待ち受けている。途中、川崎市の緑の保全地域「柿生緑地」を超えるためのやや急な階段があるものの、気軽な散歩道として利用できる足にも優しい舗装された細い道だ。
入口は、柿生小学校の向かいの一角にあり、入るとすぐに緩やかな上り坂となっている。



少し進んだ先にある辻を左に折れると、そこにはもう緑地内へと続く階段が迫ってくる。



階段の中腹には緑地を示す案内板が立てられていて、それを過ぎると、ある意味幻想的な世界へと誘う木々のトンネルが私たちを迎えてくれる。



緑地は雑木林で真竹や孟宗竹のほか、桜や杉などが侘び寂を醸し出すかのように根付いている。





しばらく歩み進めると、視界が開けた場所にたどり着く、いよいよ修廣寺のお目見えだ。


修廣寺の山号は夏蒐山(なつかりさん)で、「夏蒐」とは、源頼朝が巻き狩りをしたという意味らしい。川崎市麻生観光協会によると、開創は嘉 吉[開闢開山孤岩伊俊大和尚遷化の年](1443年)で村の 東南、夏蒐岡(なつかりおか)に建てられ、永正17年[勧請開山松澗玄秀大和尚遷化の年](1520年)に現在地に移されたという。江戸の三代目将軍家光からは朱印地三石九斗が与えられたそう。




松尾芭蕉による紀行文「おくのほそ道」の原本の一つとされているのが、弟子・素龍が清書をした「柿衛本」。また、禅宗の開祖とされているのは「達磨大師」。「柿」と「だるま」は柿生の二大特産品だ。地域縁起の二つをみる感慨深さがそこにはあった。
スポンサーサイト