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意向はどこに・・・[仲町遺跡(川崎市麻生区片平)]

  古代からのメッセージ 
 答えはきっと、
 川面をなでる風の中に

 いくつもの川の流れにより形成された河岸段丘と小高い山とが繰り返し連なる多摩丘陵の一角、川崎市麻生区片平のひときわ高い丘には、川崎市の街区公園「片平中町公園」がある。街区公園とは、その地域に住む人たちが利用することを目的に、半径250mごとに一カ所、広さ0.25haを標準として整備されている公園のこと。 かつては「児童公園」とも呼ばれていた。

遠くからの眺め

公園入口 公園入口2




 公園内脇の急峻な階段を上った頂上の平坦部分には「仲町遺跡」がある。

階段1 階段

遺跡2




 この遺跡は、縄文時代中期末の住居の遺構で昭和45年(1970)に発掘調査された。床面に平な河原石を敷き詰めた竪穴式住居の跡で直径4mほどの円形の居住部分に菱形の張り出し部(出入り口)がついたもの。平面図が柄鏡に似ていることから柄鏡形住居とも呼ばれている。つくられた時期は発見された土器から判断して4,000年ぐらい前と推測されている。住居内からは、土器のほかに打製石斧・磨製石斧・石皿・磨石(すりいし)などの生活用具が一緒に発掘された。

正面

遺跡3 遺跡1




 川崎市教育委員会の解説によると、この柄鏡形住居は、「縄文時代中期末に関東地方から中部地方にかけて突如出現し、以後、後期にかけて、いろいろな形に変化しながら継承されていきましたが、何故この時期に発展したのかは解明されていません」という。「一説には、この時期は気温が冷涼化しもっとも重要な食糧源である植物食が枯渇したので、恒常性のある石造記念物を造って真摯に祭祀し、いわば低成長期の社会不安を乗り切ったという考えもあります」とのこと。

 「現在の私たちは床に石を敷いた住居での起居はとうてい耐えられるものではありません。はたしてこれが、この時期に流行した一般的な住居であったのか、あるいは特別な意味がこめられた建物であったのか、議論はまだまだ続くでしょう」との論説も加えている。

案内板




 今回の取材では、遺跡全体が雑草や土に覆われていてその一端さえも垣間見ることができなかった。しかし、ここにはきっと、縄文時代の人々が暮らした証が埋もれているのだろう。

 
 この時代には、「日当たりがよく災いから身を遠ざけることができる場所を求め、丘陵の頂上や平坦部に居を構えることが多くあった」。先人たちは、柿生や鶴川を一望できるこの頂から何を見つめ、どのような地域づくりや国づくりを思い浮かべていたのだろうか・・・。
 何度埋もれても、その都度何度となく再び姿を見せ、古代からのメッセージを今に伝えてほしい。
階段からの眺め
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