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対峙して見つめあう・・・[柿生トンネル跡と鈴木稲荷(川崎市麻生区上麻生)]

     姿を変え、姿をひそめ 
  暮らしを支え、守ってきた双璧

 柿生中学校の脇、柿生駅から真福寺方面へ向かうバス通りには、かつて「柿生トンネル」があった。そして、そのことにふれた表示板とおっ越し山ふれあいの森への階段入り口に対峙する位置には、神社の鳥居が建っている。

対比

入口 鳥居1差し替え


 

 柿生トンネルは、昭和26(1951)年に川崎市で初めて開通したトンネルで当時の人々の往来を支えてきたが、同53(1978)年に切通しの道とされた。


トンネル跡




 おっ越し山ふれあいの森は、平成7(1995)年に同市の緑の保全地域に指定された緑地で柿生中裏の山の手、あじさい寺として親しまれている浄土宗「浄慶寺」の境内を上った尾根にある。


中階段 眺め おっ越し山からの眺め




 神社は、正一位を授けられた鈴木稲荷で、他に瘡守稲荷、妙力稲荷の名を持つ。

額



 この土地の「鈴木」姓は、古来より熊野地方で神官職を務め、後に、紀州藤白(現和歌山県海南市)に移ってからは戦国時代の傭兵部隊「雑賀衆」を組織した一族の子孫だとされている。このことから、神社は移り住んできた子や孫たちが故郷や先祖を敬う意味合いで建てたものだと推測できる。「瘡守」は、皮膚病から身を守るという意とされ、昔、何らかの病が蔓延していたことがうかがい知れる。また、「妙力」は、日蓮宗でいう妙法の四力という意味で仏力と法力に信力、行力が合わさることではじめて成仏できるとされているもの。仏教との融和を図った神社なのかもしれない。

          本殿


 柿生トンネルは形を変え消えていった。鈴木稲荷は、住宅に挟まれるかたちでその姿をひそめている。両者とも舞台からは退いたものの、人々の記憶という歴史のページの中ではしっかりとたたずんでいることだろう。
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